キリシタン同盟

引き続き「宣教と貿易」の論文仕上げ中。
平戸が宮ノ前事件で南蛮船が寄り付かない場所になった後(とはいっても実はその後も、かなり入港してますが)、大村純忠が自領の湊に南蛮船を引き入れようと、破格の好条件を申し出て、横瀬浦、福田、長崎へと入港地が移っていきますが、そのプロセスが進行した1560年代、島津氏も貿易船誘致のため、盛んに宣教師を厚遇しようと運動していました。もしそれが成功していれば、今の長崎は鹿児島だったかも・・・。
九州で改宗した領主って、大体のところ「鎮」の文字が名前に入ってます。ということは、やっぱり大友寄りなわけで、彼らの改宗動機には、貿易利益への関心だけではなく、「キリシタン同盟」を意識したようなところがあったのでしょうか、と考え中。もしその説が成り立つなら、秀吉が小倉入りして感じた「キリシタンの将来的な脅威」は、かなり具体的なものであったのかもしれません。

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by mihokodesousa1 | 2015-04-10 11:26

南蛮貿易、大航海時代、マカオ、長崎など


by mihokodesousa1