カステラという国名

最近、「異国渡海船路積」諸本の研究を本格的に進めることにしました。『洋記』本の翻刻は、岩波書店の『世界史史料』4巻で、「朱印船貿易」の担当をさせていただいたので(同じく4巻では「マラッカ王国」も担当)、自力で翻刻したものを掲載していただいております。偶然、研究仲間の藤田明良氏も、数年前から、堺市立博物館所蔵の世界図屏風(河盛家本)の「詞書」である「異国渡海船路積」を研究されているので、共同研究として、貿易品詳細の解明のみならず、近世初頭の日本人の世界認識という観点からも進められると思います。

先行研究として、中村拓氏の「南蛮屏風世界図の研究」があり、これは論文というより、ほとんど著書のような重厚な研究です。その中で、南蛮屏風世界図の諸本にみられる地名の比較がおこなわれています。
なんとその比較表で、スペインのことを「かすてら」と記すものがあることが判明。ほとんどの図が、スペインを「いすはにや」「ゑすはにや」と記しています。
以前、お菓子のカステラの語源について、卵白をあわ立てる「バテール・オ・カステロ」という表現からきたものではないかという仮説を、このブログで書きましたが、やはり通説の「ボーロ・デ・カステラ」(かすてぼうる/カスティーリャのケーキ)の語源が正しいのだな、というのを実感しました。
ただし、「かすてら」はポルトガル語の、スペインのカスティーリャ王国を指す発音ですので、お菓子そのものやその技法を伝えたのは、ポルトガル人であった可能性が高いと考えています。
日本に伝わって、江戸時代に残っていた南蛮菓子は、直感的なところですが、ポルトガル北部に由来するものが多いように思われます。さらに想像をたくましくすれば、現在でもポルトガル北部は、聖職者の産地なので、やはりお菓子の製法は、イエズス会士が導入したのかな、と考えてしまいます。
なぜポルトガルの北部が聖職者の産地であるかといいますと、ポルトガル南部では「ラティフンディオ」と呼ばれる大地主が小作人をたくさん抱えて、長男に代々家を継がせるのが一般的でしたが、北部では子供の数だけ土地を割って相続させていったといわれております。これは南部がローマ帝国の文化的影響が強いのに対し、北部はイベロ・ケルトの文化的影響が強いからであるとされています。確かに北部の田舎に行くと、猫の額ほどの土地を石垣で囲んだ農地が、たくさん見られます。そうすると自然、貧農が増えていくわけで、数いる子供を十分に養えない家庭で、そこに出来の良い子が生まれた場合、その子は神学校に入って聖職者を目指すのが、もっとも親孝行で、自分も勉強を続けられる方法でした。ほかにも、ポルトガル北部は、南部と比較して信仰心が篤いといわれております。
北部出身の日本で活動したイエズス会士と聞いて、すぐに頭に浮かぶのは、ツヅ・ジョアン・ロドリゲスです。南蛮料理を秀吉に供して成り上がったという伝説の村山等安も、ツヅと非常に親しかったと言われています。ツヅが、南蛮菓子の立役者?もちろんこれは単なる小説レベルのイマジネーションで、実証できる可能性はほとんどありません。
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by mihokodesousa1 | 2015-12-20 00:00

南蛮貿易、大航海時代、マカオ、長崎など


by mihokodesousa1