『沈黙』は文学作品です

またもや、『沈黙』ネタです。
日経オンラインのこの記事を読みました。記事はこちら

『沈黙』のハリウッド映画版上映が騒がれ始めて以来、ずっと気分が落ち着きません。
今やっと、その原因に気づきました。
『沈黙』はその刊行以来、カトリックの神学者がムキになって反駁するなど、歴史的事実、そしてキリスト教の神に対する解釈の問題が取沙汰されてきました。

しかし、心を落ち着けてみれば、これは遠藤氏の文学作品(つまりフィクションかつ内なるものの発露)で、スコセッシ監督の映像化も、「虚構」なのです。
みなさん、いいですか~。これはドキュメンタリー映画ではないのですよ(自分にも言い聞かせる)。

遠藤氏の原作を読めば、ロドリゴの出身地からして、メキシコの町タスコなのに、ポルトガル人ということになっています。深読みして、当時新大陸に沢山いたコンベルソのポルトガル人一族出身だったとしても、そんな解説は作品中には出てきません。まぁ、出てきていたら、それはそれで大きな問題になっているでしょう。
実際には、来日したイエズス会士には結構コンベルソの人がいたので。あるめー様だけではありませんよ。
ついでに言っておけば、ある人が「日本に来ていた宣教師はみなヨーロッパのエリート」とおっしゃったとか。
そんな人もいたでしょうが、そうではない人もたくさんいました。つまりインドあたりでリクルートされて、商人から宣教師になった方々。彼等は言ってみれば俄仕立てですので、神学的素養が乏しく、発信する書翰も検閲にひっかかるような内容のことを結構書いてしまいます。検閲を経て出版されたのが、今みなさまが簡単に読める『16・7世紀イエズス会日本報告集』の元であるエヴォラ版なるものです。
キリシタンに関するまとまった情報源が、この「検閲後の」エヴォラ版しかないというのは、ある意味研究史上の不幸であると思います。しかも『16・7世紀イエズス会日本報告集』には、結構誤訳、意訳の行き過ぎなどがあり、二重の不幸が生じています。

話を戻すと、遠藤氏は最初から「これはフィクションですよ」とそこかしこで主張しているのです。
なのに多くの人が、モデルとなっている人々について多少の知識を持ち、巧みな遠藤氏の筆力によって、あたかも現実の再現であるかのようにとらえてしまう、という点が、おそらく遠藤氏の意図をはるかに超えて、社会的影響力へと繋がっているのでしょう。原作の発刊当時から、そして現在もまた再燃している問題には、歴史学者は距離を置いてお付き合いする必要があるのです。

とはいえ、私自身は、得失論は別として、「鎖国」は現代日本人のメンタリティに多大な影響を残していると考える人間ですので、あの時代のことを、今まで歴史に関心のなかった方が考える契機になってくれたら良いと思っています。
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by mihokodesousa1 | 2017-01-31 16:04

南蛮貿易、大航海時代、マカオ、長崎など


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