カテゴリ:研究の旅( 6 )

平戸イベント報告

平戸国際フォーラムと巡見を終えて、無事京都に上洛しました。
フォーラムでは、通訳関係で大きな予期せぬ不幸がありましたが、なんとか切り抜けることができました。ご協力くださったみなさま、ありがとうございました。
生月・山田集落のオラショの実演も聞くことができ、大変感動しました。あの「まいろーやーなー」のオラショを生で聞くと、やはりきゅーっと心に迫るものがあって、400年くらい時空旅行をした気分になります。
その後、山田のカクレキリシタンの方たちと少しお話することができましたが、そのときは舞台の上よりも緊張しました。
明日は外海の枯松神社祭とのことでしたが、残念ながら、東洋史研究会大会報告のため、京都にワープしてきました。
お客さんには今回も、このブログを読んでくださっているという方もいらしてくださり、最近あまり更新していないので、申し訳なく思います。大曲記の作者のご子孫の方で、本日は少しお宅へもお邪魔しました。大変美しい庭園と趣のある日本家屋のお宅でした。また機会があれば、ゆっくり平戸の歴史の話を伺いたいと思います。
生でキリシタン文化に触れると、気持ちを新たに引き締めて、史料から聞こえる声、今でも感じられる歴史の証を、真摯に受け止め、「グランド・セオリー」や「史観」に縛られることなく、その時代の本当の空気みたいなものを感じられる歴史の語り手になりたいと、思うのでした。
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by mihokodesousa1 | 2015-11-02 21:36 | 研究の旅

平戸・長崎

やはり活動宣伝ブログがないと、何かと不便なのと、楽しみにしてくださっている方もいると聞くので、ポチポチ再開することに。

先週金曜日から、長崎県の平戸と長崎市内で会議と調査へ。
会議では、イタリア海洋都市史の超有名な先生もいらした。私は夕食席で隣に座ったけど、自己紹介もしなかったので、きっとあちらは私が何者だったか分からずじまいだったに違いない。

今回の調査先は、長崎の純心大学博物館の所蔵史料と、長崎歴史文化博物館でした。純心大学には、幕末に潜伏キリシタンを「発見」した宣教師プチジャンの書簡集の写本が所蔵されています。
原本は行方不明らしいので、この写本が「エリア写本」として、これまでの翻訳のベースになってきました。
翻訳書簡集で、ちょっと疑問に思う箇所があったので、原文を確認。
それにしても純心大学は、ものすごい山の中にあった。女子修道院も兼ねているからかもしれないが・・・。
大阪大学箕面キャンパスよりも不便な大学は、初めてかもしれない・・・。

今、仕上げにかかっている論文の題材が、浦上天主堂にあって原爆で消失したカクレキリシタン秘蔵の絵画なので、浦上天主堂と原爆資料館にはじめて行きました。
浦上天主堂は原爆で全壊したので、資料館のほうで展示されている復元や昔の写真が参考になりました。
実は、長崎で原爆資料館に行ったのは初めて。あらためて、核の恐ろしさを実感。
と、同時に、長崎のキリシタンの歴史の奥深さを感じました。
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by mihokodesousa1 | 2011-09-14 17:03 | 研究の旅

ゴアの歴史文書館

最近、一昨年秋のマラバール海岸(インド西岸)調査について、思い出すことが、しばしばあります。
それはこの調査で同行したメンバーの一部と科研を組んでいて、つい先日もそのワークショップがあったことや、11月にイベリア調査したメンバーと重なっているという理由もあります。
あと依頼エッセイが1本あって、そのネタにこの調査の話を使おうかなと考えていたりもします。
あまりに壮絶な旅だったので、旅行の記憶が残りにくい私の頭にも鮮明に残っています。

成田空港に集合して、エア・インディアで、まずはデリー経由ムンバイへ。機内はすでにカレーの匂いです。
最初はムンバイに1泊して、そこから飛行機でインド最南端のコモリン岬を目指し、そこから徐々にミニバスで北上するという行程でした。毎日早朝に出発して、夜中に次の目的地のホテルへ着くという強行軍。
極め付きは、3段ベッドの寝台列車で、ほかのメンバー(全員男性)に混ざって寝るという体験。危険かも(?)という理由で、日本中世対外関係史の大御所M先生に、私の下段に寝ていただいたら、M先生はインド人男性に一晩中見つめられて、「身の危険を感じた」と翌朝おっしゃってました。

最終日、私は他のメンバーと別れて残り、1週間ゴアの歴史文書館で『モンスーン文書』のオリジナルを調査いたしました。
ゴアに到着してから、色々と我々の面倒を見てくれたHeritage Holidays & Travelsという旅行会社の支配人SAVIO PINTO氏に、調査後のマイクロフィルム代の支払いや郵送など手伝ってもらいました。
この旅行会社は、日本のインド旅行大手アショカツアーズの斡旋で我々の面倒を見てくれたのですが、ガイドさんも支配人も誠実で、きちんとした人でした。
ゴアの歴史文書館で、大量のマイクロ撮影してもらう場合、それなりに時間がかかりますし、代金の支払いも現地でしかできないので、こういう代理人の手配は必須だと思います。

今日、たまたまPINTO氏から、メールが送られてきました。ゴアを発ったときは、すぐにまた調査で戻るつもりだったのですが、結局もう1年以上も経ってしまいました。しばらくゴアへ行けるか分かりません・・・・。
でも言葉のわからない場所でのフィールドワークには、やはり信頼できるガイドさんが必要ですから、いいご縁があったと思います。ちなみにPINTOはポルトガル系の姓です。ご本人はふつうにインド人だと言ってましたが、我々からみると西洋人の血が混じっているように見えました。

もしかしたらゴアでフィールドワークするかもしれない方のために、会社の案内を記しておきます。
Heritage Holidays & Travels,
208, Citicentre, 2nd Floor,
19, Patto Plaza,
Panjim-Goa.403001.

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by mihokodesousa1 | 2011-02-03 22:20 | 研究の旅

イベリア調査3日目:グラナダとコルドバ

インディアスの調査が終わってから、夕方そのままグラナダ行きのバスに乗り込みました。セビーリャ=グラナダ間はバスでも鉄道でも3時間程度です。その日はグラナダに到着して終了でしたが、グループのうち比較的若者(私も含む)は、夜のアルバイシン地区へ出かけました。その夜は非常に寒かったのですが、アルバイシン地区から見た夜のアルハンブラ宮殿は美しかったです。
アルバイシン地区には旧ユダヤ人街があって、ダビデの星が道路のモザイクタイルになっているところがありました。
翌朝、アルハンブラ宮殿とアルカイセリア(昔、外国人商館があった地区)、カトリック両王が眠る墓所などを駆け足で訪問し、午後12時のコルドバ行きバスに乗りました。ちなみにアンダルシアは今回ALSAというバス会社の長距離バスで移動しましたが、インターネットで日本から座席を予約できるので、出発間際にバスターミナルへ行けばいいというのは便利です。

アルカイセリアですが、マニラの中国人商館のことをスペイン語で「アルカイセリア」と呼んでおり、グラナダは唯一スペイン国内で「商館」地域が原型に近い形で残っているところなのではないかと思います。

グラナダとコルドバでは文書館調査はしませんでしたが、大航海時代にアジアへやってきた商人の大半は改宗ユダヤ人(コンベルソ・新キリスト教徒)であったという説も最近実証が進んでいますので、その関連遺跡が残るグラナダとコルドバは外せませんでした。

コルドバには旧ユダヤ人地区があり、シナゴーグも残っています。コルドバは3度目でしたが、前回はどちらも土曜日(シャバット)で、シナゴーグもその近くに最近できた「セファルディ博物館」も閉まっていましたが、今回はどちらもしっかり踏査できました。
とくにセファルディ博物館は、ガイドさんが丁寧に説明してくれるので、イベリア半島のユダヤ人の歴史がよく分かります。コルドバ出身のユダヤ人で、サラディンの侍医だったマイモニデスの展示がとくに充実しています。ほかにセファルディの有名人のリストがあり、その中には、日本イエズス会の布教政策に影響を与えた、「ぎやどぺかどる」などのキリシタン版でも知られる16世紀の宗教思想家でドミニコ会士のルイス・デ・グラナダの名前が含まれています。
最近日本で刊行されたグラナダの研究書では、そのことは全く触れられていないので、ちょっと驚きました。著者のアイデンティティの解明は、文学研究の基本だと思うのですが。
ルイス・デ・グラナダの思想は、16世紀末に日本イエズス会布教長だった科学者のペドロ・ゴメスによって、日本に導入されたのだと思いますが、ペドロ・ゴメスもまた改宗ユダヤ人だったことを示す史料があります。

改宗ユダヤ人とはいえ、その時点では熱心なキリスト教徒ですから、変に「ユダヤ人の陰謀」説など煽るつもりはありませんが、グラナダの著書がいち早く日本で翻訳出版されたのは、グラナダ自身が改宗ユダヤ人であるというアイデンティティにもとづいて、「改宗者のための教義書」作成に熱心だったからに他ならないわけで、そういうところをすっ飛ばして、グラナダの思想や日本での影響を論じるのは、どうかなと思います。
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by mihokodesousa1 | 2010-12-21 21:17 | 研究の旅

イベリア調査2日目:セビーリャ

カディスには海事博物館はなかったのですが、「海図博物館」はありました。しかしこれは工事中で閉館中。
地方都市の小さな博物館は、インターネット情報もほとんどなく、現地に行ってから地元の人に聞くしか方法がない場合があります。
数年前にビスケー湾沿岸の捕鯨関連施設の調査で、別の科研グループのコーディネーターとして同行しましたが、現地に行くと、博物館以外にも街の紋章にクジラが使われたものが多数あったり、ちょっとしたレストランにも捕鯨用具が飾られていたり、バスクと捕鯨の関わりが体感できました。やはりフィールド調査は大事ですね。

さて今回の旅の重要な目的地セビーリャでは、インディアス文書館に事前から連絡をとっていたおかげで、かなりVIP待遇にしていただけました。
ですが、すでに画像データがネット公開されている史料は、実見できないとのことで、家康や秀忠のレルマ公宛朱印状などは見ることができませんでした。

スペインの国立文書館は、かなりデータベース化が進んでおりまして、インディアスをはじめシマンカスやマドリッド国立文書館の文書はあらかたデータベース化され、インディアスのものに関しては、かなりの部分の画像データがネット上で公開されています。詳しくはこちらから

館員の方に、館内を丁寧にご案内いただき(インディアスには、昔通ったのですが、こんな扱いされたことないよ)、ちょうど特別展示「世界の海賊」があり、主にカリブの海賊中心に、貴重な史料展示を見ることができました。

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その後、事前に予約していた、マニラ=中国関係の漢籍と明代の古地図を見せていただきました。漢籍は18世紀に作成された、ミッション関係のものが多かったのですが、その中におそらく宣教師の使用人としてマニラへ行った華人の本国家族宛書簡なども紛れていて、非常に興味深かったです。
全体の調査報告は、九州大学の紀要にまとめられる予定です。

私の注目はコチラ。これは新大陸などから銀を入れてヨーロッパへ持ち運ぶための複雑な錠前構造を持った箱です。ほとんど同じものを、ハプスブルグ朝スペインの財政を支えたイタリアのジェノヴァの海事博物館で見ました。「スペイン帝国の世界的繁栄」というのは、実質的にはレパント貿易から撤退したジェノヴァなどからの資本投下と改宗ユダヤ人商人の経済活動に支えられたものであったというのは、日本ではあまり知られていませんね。
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by mihokodesousa1 | 2010-12-21 11:11 | 研究の旅

アムステルダムの市立図書館

12日間にわたるイベリア半島日本・中国関係史料調査の旅から戻りました。
旅の話はおいおいするとして。
帰路5時間ほど立ち寄ったアムステルダムで、友人とランチのため、2年前にオープンしたアムステルダムの市立図書館へ立ち寄りました。
ちょうどアムステルダム港を挟んで、海事博物館と向かい合う形になっています。

中へ入るとまずピアノがあって、自宅にピアノがない市民が無料で練習できるようになっています。私が立ち寄ったときは、素敵な若い男性がジャズを弾いていました。

1階から3階は、無料でインターネットが使えるパソコンが何台も設置され、2階はとくに音楽のCDやDVDライブラリーになっていて、個人でゆったり音楽や映像が楽しめるような小型ブースもありました。

全体的に北欧のシンプルかつお洒落な内装や家具でまとめられていて、南欧の重厚な雰囲気の図書館とはまったく別な趣です。
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館内はティーンエイジャーから大学生くらいの若者が多く、子供連れのお母さんやお年寄りは少ない感じ。日本の図書館とは正反対ですね。若者にとっては、図書館へ来ることが「クール」でかっこいいという意識が定着しているのではないでしょうか。
日本でもこういう取組みがあれば、若者の本やカルチャーへの関心がもっと高まるのではないかと思います。

4階は色とりどりの野菜を使ったサラダバーや、釜焼きのピザ、材料から選べる中華料理などのマルシェ風食堂が入っていて、市民がランチやカフェをゆったりと楽しんでいました。
その彩に感激!携帯カメラで撮影したので、あまり綺麗に撮れませんでしたemoticon-0106-crying.gif
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アムステルダムは町並みも美しいのですが、コンサートや舞台など、市民が気軽に楽しめるカルチャーが充実していて、本当に先進的だなぁと感じます。
日本は文化の洗練度は高いと思うのですが、それを気軽に楽しめるようになっていないのは、誠に残念です。
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by mihokodesousa1 | 2010-12-03 17:43 | 研究の旅

南蛮貿易、大航海時代、マカオ、長崎など


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