カテゴリ:日本/ポルトガル研究( 1 )

織部焼 南蛮人の水差し

11月16日付で、秋田県からこのようなニュースが出ました。

以下秋田魁新報社の報道から

大仙市北楢岡字沖田の沖田Ⅰ遺跡から、南蛮人をモチーフにした江戸時代初期の人形型水滴が出土し、市文化財保護課が専門家に照会して来歴などを調べている。帽子をかぶり、襟にひだ状の円形飾り。鼻が高く彫りの深い顔立ちなど異国情緒が表現されている。

 同課などによると、似たような出土品は県内では確認されておらず、仙台城跡や大阪府堺市などでわずかに見つかっている。水滴は高さ6・5センチ、底幅4センチ。美濃地方(岐阜県南部)が主産地の織部焼で、すずりに水を注ぐ容器として使われた。人形の左肩後ろに水の注入口があり、右肩の穴から注ぐ仕組み。鼻の穴やとがったあごなど顔部分が特に精巧に作られている。

 水滴は今年6月、圃場整備に伴う市の発掘調査で、井戸跡から皿やわんなどの陶器とともに出土。弘前大の関根達人教授(44)=考古学=の鑑定で、約400年前の織部焼であることが判明した。出土場所は、かつて雄物川に注いでいた支流沿い。同課が河川交通による物資集散の場だったのかなどを調査している。


それでその水差しはこんな感じです。
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これはどう見ても、アフリカの方じゃないですか?そう思って、すでにパターン化していると言われる織部焼の南蛮人燭台というのを、画像検索してみました。
すると「南蛮人燭台」といわれている織部焼の人形のうち、かなりの部分がアフリカ系の顔立ちでした。
南蛮屏風にも多くのアフリカ人やインド人、東南アジア人が描かれていますが、私の研究でもマカオからやってくる船には、本当に多様なエスニシティの人々が乗っていたことが分かっています。

日本人が燭台や水差しに、アフリカ系の人々のモチーフを使ったというのは、当時の日本人にとっては、いわゆるヨーロッパ系の「南蛮人」よりも、彼らの方がインパクトがあったということですよね。
信長も黒人奴隷を献上されて、たいそう喜んでいますし。
当時、「奴隷」と呼ばれる人々は、アフリカ系から日本人を含むアジア系まで、多様な人々がいましたが、カフル人(モザンビーク人)が、「示威奴隷」としてもっとも価値が高かったそうです。

今、研究している史料では、日本人の奴隷の売買値段が分かるものがありますが、かなり二束三文です。
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by mihokodesousa1 | 2010-11-17 21:49 | 日本/ポルトガル研究

南蛮貿易、大航海時代、マカオ、長崎など


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