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来日記念パーティ

ポルトガルの国営放送RTP1のニュースに登場しました。

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by mihokodesousa1 | 2015-03-30 14:07

教会領長崎

一昨日から、長崎へ、歴文博での展示鑑賞が主な目的で行ってまいりました。初日案内してくださった長崎大司教区の方のご厚意で、日本二六聖人記念館のレンゾ神父様にも初めてお目にかかりました。

今朝は事務仕事を片付け、「布教と貿易」に関する論文を仕上げつつ、長崎開港に関する部分で、昨年安野先生から直接いただいたにも関わらず、ちゃんと読んでいなかった『教会領長崎』を読みました。安野先生の「試み」に、自分の思考との共通項を見つけて、僭越ながら非常に嬉しくなりました。
以下『教会領長崎』(192頁)抜粋
「私の考えは、キリシタン史や教会領長崎を日本史の文脈のなかに位置づけることである。問題の教会領長崎は、黒田俊雄の言う「寺社勢力」の一つとしてとらえ、比叡山や石山本願寺、英彦山や阿蘇山等々との比較のなかで考えるべきであろう」
自分自身がそういう研究に進めるかは皆目不明ですが、このような視点は重要なのに今まで欠けていたので、今後もっと意識されていくべきだと考えます。


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by mihokodesousa1 | 2015-03-24 16:15

講演準備中。

週末の講演準備中につき、昨年書き上げたものの、編者からのその後の督促が無いため、最終調整していない120枚の原稿「大航海時代とアジア」を読み直してみました。
久しぶりに読むと、なんだか新鮮。
結文は、最近キリシタン研究について言及した記事とも主張が重なるので、ちょっと抜粋して掲載してみます。

しかし、一六世紀にヨーロッパ人を迎え入れた諸地域の歴史を多少紐解きながら、大航海時代を振り返ってみると、《支配者》となり得たのは、南北アメリカのように、元々土地に対する人口がまばらで、しかも原住民が新たに持ち込まれた病原菌等によって壊滅に近い状態に陥った地域に限られる現象であるとわかる。ポルトガル人のアジア進出は、イスラーム勢力への対抗意識から、覇権を確立する意図がなかったわけではないにせよ、結局のところ各地域の政情によって、その影響力の大小は大いに左右された。支配地域を拡大できた時代や場所もあったが、実際のところ、主権が確立できていたのは、諸王国の港町の、しかもごく一部の地点にすぎなかった。極論的に言うと、ポルトガルは《世界》の支配者にはなり得なかったのである。アメリカ大陸に関しても、スペインという「国家」がそのヘゲモニーを確立し得たと言えるかというと、大いに疑念が残る。大航海時代の世界各地における「スペイン人」、「ポルトガル人」の活動に関して、スペインやポルトガルといった「国家」との連動性は、後のヨーロッパ重商主義国家と比較すると、圧倒的に希薄であり、むしろ各現象の決定的要因は、移住者と現地社会との関係性にあった。」




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by mihokodesousa1 | 2015-03-09 15:43

昨今のキリシタン研究について

引きこもりに徹している私が言うのもなんですが、というかキリシタン研究では風来坊であるからこそ言えるのですが、

「昨今の、《イベリア・インパクト》を強調するキリシタン研究には危機感を感じます。」

1970年代以来、近世の対外関係史研究、アジア地域史研究が、そこからの「脱却」を最重要課題としてきたはずの、「西洋中心主義史観」に引き戻されようとする動きを、風聞で最近顕著に感じます。

新しいムーブメントは、それはそれで意味があるのだろうと思います。が、最低でも姉崎正治、岡田章雄、片岡弥吉、浦川和三郎などの古典を読み込んでから議論して欲しいと思います。これらを読まずして、安易にグローバルの問題に持っていき、トレンドに乗っていると思うのは愚かです。

すでにこのブログでも書きましたが、いわゆるグローバル・ヒストリーの大物と呼ばれる人たちは、グローバル・ヒストリーの雛形を前提としてしか成立し得ない研究を評価しません。むしろ地道な史料研究・データ蒐集・閉じこもらないミクロ・ヒストリーの研究が高く評価されます。「グローバル」は前提ではなく結果であり、実はいつの時代も、そこかしこに普遍的に見出せるものではないでしょうか。
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by mihokodesousa1 | 2015-03-05 22:30

南蛮貿易、大航海時代、マカオ、長崎など


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