イベリア調査2日目:セビーリャ

カディスには海事博物館はなかったのですが、「海図博物館」はありました。しかしこれは工事中で閉館中。
地方都市の小さな博物館は、インターネット情報もほとんどなく、現地に行ってから地元の人に聞くしか方法がない場合があります。
数年前にビスケー湾沿岸の捕鯨関連施設の調査で、別の科研グループのコーディネーターとして同行しましたが、現地に行くと、博物館以外にも街の紋章にクジラが使われたものが多数あったり、ちょっとしたレストランにも捕鯨用具が飾られていたり、バスクと捕鯨の関わりが体感できました。やはりフィールド調査は大事ですね。

さて今回の旅の重要な目的地セビーリャでは、インディアス文書館に事前から連絡をとっていたおかげで、かなりVIP待遇にしていただけました。
ですが、すでに画像データがネット公開されている史料は、実見できないとのことで、家康や秀忠のレルマ公宛朱印状などは見ることができませんでした。

スペインの国立文書館は、かなりデータベース化が進んでおりまして、インディアスをはじめシマンカスやマドリッド国立文書館の文書はあらかたデータベース化され、インディアスのものに関しては、かなりの部分の画像データがネット上で公開されています。詳しくはこちらから

館員の方に、館内を丁寧にご案内いただき(インディアスには、昔通ったのですが、こんな扱いされたことないよ)、ちょうど特別展示「世界の海賊」があり、主にカリブの海賊中心に、貴重な史料展示を見ることができました。

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その後、事前に予約していた、マニラ=中国関係の漢籍と明代の古地図を見せていただきました。漢籍は18世紀に作成された、ミッション関係のものが多かったのですが、その中におそらく宣教師の使用人としてマニラへ行った華人の本国家族宛書簡なども紛れていて、非常に興味深かったです。
全体の調査報告は、九州大学の紀要にまとめられる予定です。

私の注目はコチラ。これは新大陸などから銀を入れてヨーロッパへ持ち運ぶための複雑な錠前構造を持った箱です。ほとんど同じものを、ハプスブルグ朝スペインの財政を支えたイタリアのジェノヴァの海事博物館で見ました。「スペイン帝国の世界的繁栄」というのは、実質的にはレパント貿易から撤退したジェノヴァなどからの資本投下と改宗ユダヤ人商人の経済活動に支えられたものであったというのは、日本ではあまり知られていませんね。
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# by mihokodesousa1 | 2010-12-21 11:11 | 研究の旅

イベリア調査1日目:カディス

少し前になってしまいましたが、11月のイベリア半島調査報告を少しずつアップしたいと思います。
今回はリスボンのトルレ・ド・トンボ文書館の清代漢文史料がメインの目的でしたが、セビーリャのインディアス文書館にも、中国・日本関係の史料が豊富にあるので、スペインのアンダルシア地方を旅程に入れました。

土曜日晩にマドリッドのバラハス空港へ到着し、翌日曜日はセビーリャへ移動し、そこからさらにスペインの大西洋貿易で栄えた港町カディスへ向かいました。
カディスはフェニキア人の遺跡が多く残っていることで有名ですが、さらにその上にローマ帝国、イスラーム諸王朝が文明を築き、少しモロッコに似た雰囲気のエキゾチックな街になっています。
あやしげなインターネット情報を頼りに、到着してから海事博物館を探したのですが、観光案内所でそういったものはないといわれ、カディスの町の博物館を目指すも、日曜日は午前中のみの開館で、我々が到着したときには、すでに扉が閉まっておりました。

ですが、カテドラルの塔を上ると最上階からキラキラと輝く大西洋が見渡せ、付属の博物館では、おそらく中南米産の銀を使った様々な聖器などを見ることができました。

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この丸いドーム型の教会は、やはりイスラーム文明の影響でしょうか。カディスは旧市街が要塞の中にある、まさに城塞都市です。古代から多くの勢力が占有をめぐって攻防に明け暮れたイベリア半島の重要な港町のひとつです。
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# by mihokodesousa1 | 2010-12-20 16:39

アムステルダムの市立図書館

12日間にわたるイベリア半島日本・中国関係史料調査の旅から戻りました。
旅の話はおいおいするとして。
帰路5時間ほど立ち寄ったアムステルダムで、友人とランチのため、2年前にオープンしたアムステルダムの市立図書館へ立ち寄りました。
ちょうどアムステルダム港を挟んで、海事博物館と向かい合う形になっています。

中へ入るとまずピアノがあって、自宅にピアノがない市民が無料で練習できるようになっています。私が立ち寄ったときは、素敵な若い男性がジャズを弾いていました。

1階から3階は、無料でインターネットが使えるパソコンが何台も設置され、2階はとくに音楽のCDやDVDライブラリーになっていて、個人でゆったり音楽や映像が楽しめるような小型ブースもありました。

全体的に北欧のシンプルかつお洒落な内装や家具でまとめられていて、南欧の重厚な雰囲気の図書館とはまったく別な趣です。
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館内はティーンエイジャーから大学生くらいの若者が多く、子供連れのお母さんやお年寄りは少ない感じ。日本の図書館とは正反対ですね。若者にとっては、図書館へ来ることが「クール」でかっこいいという意識が定着しているのではないでしょうか。
日本でもこういう取組みがあれば、若者の本やカルチャーへの関心がもっと高まるのではないかと思います。

4階は色とりどりの野菜を使ったサラダバーや、釜焼きのピザ、材料から選べる中華料理などのマルシェ風食堂が入っていて、市民がランチやカフェをゆったりと楽しんでいました。
その彩に感激!携帯カメラで撮影したので、あまり綺麗に撮れませんでした007.gif
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アムステルダムは町並みも美しいのですが、コンサートや舞台など、市民が気軽に楽しめるカルチャーが充実していて、本当に先進的だなぁと感じます。
日本は文化の洗練度は高いと思うのですが、それを気軽に楽しめるようになっていないのは、誠に残念です。
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# by mihokodesousa1 | 2010-12-03 17:43 | 研究の旅

織部焼 南蛮人の水差し

11月16日付で、秋田県からこのようなニュースが出ました。

以下秋田魁新報社の報道から

大仙市北楢岡字沖田の沖田Ⅰ遺跡から、南蛮人をモチーフにした江戸時代初期の人形型水滴が出土し、市文化財保護課が専門家に照会して来歴などを調べている。帽子をかぶり、襟にひだ状の円形飾り。鼻が高く彫りの深い顔立ちなど異国情緒が表現されている。

 同課などによると、似たような出土品は県内では確認されておらず、仙台城跡や大阪府堺市などでわずかに見つかっている。水滴は高さ6・5センチ、底幅4センチ。美濃地方(岐阜県南部)が主産地の織部焼で、すずりに水を注ぐ容器として使われた。人形の左肩後ろに水の注入口があり、右肩の穴から注ぐ仕組み。鼻の穴やとがったあごなど顔部分が特に精巧に作られている。

 水滴は今年6月、圃場整備に伴う市の発掘調査で、井戸跡から皿やわんなどの陶器とともに出土。弘前大の関根達人教授(44)=考古学=の鑑定で、約400年前の織部焼であることが判明した。出土場所は、かつて雄物川に注いでいた支流沿い。同課が河川交通による物資集散の場だったのかなどを調査している。


それでその水差しはこんな感じです。
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これはどう見ても、アフリカの方じゃないですか?そう思って、すでにパターン化していると言われる織部焼の南蛮人燭台というのを、画像検索してみました。
すると「南蛮人燭台」といわれている織部焼の人形のうち、かなりの部分がアフリカ系の顔立ちでした。
南蛮屏風にも多くのアフリカ人やインド人、東南アジア人が描かれていますが、私の研究でもマカオからやってくる船には、本当に多様なエスニシティの人々が乗っていたことが分かっています。

日本人が燭台や水差しに、アフリカ系の人々のモチーフを使ったというのは、当時の日本人にとっては、いわゆるヨーロッパ系の「南蛮人」よりも、彼らの方がインパクトがあったということですよね。
信長も黒人奴隷を献上されて、たいそう喜んでいますし。
当時、「奴隷」と呼ばれる人々は、アフリカ系から日本人を含むアジア系まで、多様な人々がいましたが、カフル人(モザンビーク人)が、「示威奴隷」としてもっとも価値が高かったそうです。

今、研究している史料では、日本人の奴隷の売買値段が分かるものがありますが、かなり二束三文です。
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# by mihokodesousa1 | 2010-11-17 21:49 | 日本/ポルトガル研究

南蛮貿易、大航海時代、マカオ、長崎など


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