2010年 12月 21日
イベリア調査3日目:グラナダとコルドバ
アルバイシン地区には旧ユダヤ人街があって、ダビデの星が道路のモザイクタイルになっているところがありました。
翌朝、アルハンブラ宮殿とアルカイセリア(昔、外国人商館があった地区)、カトリック両王が眠る墓所などを駆け足で訪問し、午後12時のコルドバ行きバスに乗りました。ちなみにアンダルシアは今回ALSAというバス会社の長距離バスで移動しましたが、インターネットで日本から座席を予約できるので、出発間際にバスターミナルへ行けばいいというのは便利です。
アルカイセリアですが、マニラの中国人商館のことをスペイン語で「アルカイセリア」と呼んでおり、グラナダは唯一スペイン国内で「商館」地域が原型に近い形で残っているところなのではないかと思います。
グラナダとコルドバでは文書館調査はしませんでしたが、大航海時代にアジアへやってきた商人の大半は改宗ユダヤ人(コンベルソ・新キリスト教徒)であったという説も最近実証が進んでいますので、その関連遺跡が残るグラナダとコルドバは外せませんでした。
コルドバには旧ユダヤ人地区があり、シナゴーグも残っています。コルドバは3度目でしたが、前回はどちらも土曜日(シャバット)で、シナゴーグもその近くに最近できた「セファルディ博物館」も閉まっていましたが、今回はどちらもしっかり踏査できました。
とくにセファルディ博物館は、ガイドさんが丁寧に説明してくれるので、イベリア半島のユダヤ人の歴史がよく分かります。コルドバ出身のユダヤ人で、サラディンの侍医だったマイモニデスの展示がとくに充実しています。ほかにセファルディの有名人のリストがあり、その中には、日本イエズス会の布教政策に影響を与えた、「ぎやどぺかどる」などのキリシタン版でも知られる16世紀の宗教思想家でドミニコ会士のルイス・デ・グラナダの名前が含まれています。
最近日本で刊行されたグラナダの研究書では、そのことは全く触れられていないので、ちょっと驚きました。著者のアイデンティティの解明は、文学研究の基本だと思うのですが。
ルイス・デ・グラナダの思想は、16世紀末に日本イエズス会布教長だった科学者のペドロ・ゴメスによって、日本に導入されたのだと思いますが、ペドロ・ゴメスもまた改宗ユダヤ人だったことを示す史料があります。
改宗ユダヤ人とはいえ、その時点では熱心なキリスト教徒ですから、変に「ユダヤ人の陰謀」説など煽るつもりはありませんが、グラナダの著書がいち早く日本で翻訳出版されたのは、グラナダ自身が改宗ユダヤ人であるというアイデンティティにもとづいて、「改宗者のための教義書」作成に熱心だったからに他ならないわけで、そういうところをすっ飛ばして、グラナダの思想や日本での影響を論じるのは、どうかなと思います。