いただいた本

最近ご縁があって、監修の方からいただいた本。信じられないことに、これは写真ではなく、彫刻なのです。こんな天才でも不遇のうちに亡くなるなんて、芸術ってのは、本当に難しい。濱崎茂遺作品集、大西修監修。さきたま出版会で入手できます。濱崎さんは、長崎のご出身で、作品にはセミナリオ学生風の彫像も。
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# by mihokodesousa1 | 2018-12-02 23:11

こちらの本もまもなく

『大航海時代の日本人奴隷』は、結構反響が大きかったのですが、ソウザの研究の完全版が英語でまもなく出版されます。かなりお高い本なので、一般の方に買ってとは言えないのですが、大学図書館等でご購入いただければ幸いです。私はしばらく自分の研究に専念したいので、訳書の続きは、いつ出るかなぁ。そもそも訳書の元原稿は、一番最初のポルトガル語の著書なので、さらに情報がバージョンアップされた英語の本が出るのに、古いポルトガル語の本をベースに日本語の本を出版してもなぁ、と思うわけです。

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# by mihokodesousa1 | 2018-10-29 21:28
ずっと前のブログに、「東南アジア学会にまだ戸籍が残っていたので復帰させていただいた」お話を書きましたが、結局ポルトガル渡航前に、また辞めてしまいました。結構会費が高いのと、再入会以来一度も研究会にも大会にも出られていないのと、学会誌が「同人誌」レベルになっていたのが理由かなぁ。若い頃にお世話になった先生方も、東南アジア史学会ではなくなった時に辞めたり、その後辞めたり、辞めてないけど、あまり積極的に活動していない方がほとんどになりました。
そんなわけで今入っているのは「宗教文化史学会」だけです。最近、中世の浄土教系の思想展開に関心があるので、今のところ、これで十分かな。高校の
同級生とも会えるし。あと一回入って、MLの議論の熱気についていけず、すぐに辞めた「高大連携歴史教育研究会」は、再入会したいと思ってます。まだちょっと様子見。

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# by mihokodesousa1 | 2018-10-29 20:44
ポルトガルから9月中旬に帰国しました。10月はセビーリャとデトロイトに3日ずつ出張でしたが、なんとかそれらの会議をこなして、しばらくは長距離フライトをせずに済むのでホッとしております。ポルトガルに行っている間に、長崎のキリシタン文化遺産は世界遺産になりました。県知事さんからお礼状が来ていたけど、とくに個人的な感想はなし。長崎新聞に載っていた、県の実質的責任者であったKさんの「全ての人を満足させることはできないけれど」というコメントに、深いものを感じました。私はこのために、日夜過労死寸前になるまで働いていた彼らが、少しでも家でゆっくりと家族と過ごせ、しっかりと睡眠を取る時間ができるなら、もうそれでいいんちゃう、と思ってます。
昨日、吉川弘文館の、宮崎賢太郎氏の最近の本を出されている編集者さんとお話ししました。
以前に、宮崎先生の擁護説を書きましたが(別に宮崎先生は、私なんかに擁護してもらわんでも良いと思いますが)、批判の書を読んだ後、宮崎先生の著書を読み返しても、やっぱり宮崎先生を支持するなぁ、と思いました。とくに批判の書に、批判的に書かれていた、宮崎先生が「カクレキリシタンの文化が消えゆくならば、外部の人間がそれを無理に続けろと言うのは酷なことである」という意味合いの言葉は、学者としても、人間としても、正直かつ真っ当なもので、外部の人が「無形文化財」的に無理やり保全を図れと言うのは、「偽善」だと思います。今できることは、消えゆく文化をできるだけ映像や記録で残し、遺物もしっかりとお金をかけて文化財として保全することです。その意味で、行政は「島の館」や外海の資料館の予算を、もっともっと増やして欲しいです。もしコミュニティ内部の人に、なんとか残したいという希望の方がいれば、どのように残すことができるのか、きちんと行政の方で専門家を交えて方法を話し合っていただきたいと思います。
盛んに言われている「カトリック教会の代弁者としての宮崎賢太郎」という捉えられ方は、ご本人には本当に不本意だと思います。宮崎先生の本のどこを探しても、「カトリックが正当で、カクレは信仰なんかじゃない」などという言葉は見当たりませんし、本をきちんと読めば、宮崎先生が長年かけてこられた「カクレキリシタン」への情熱、研究対象への愛情は、すごく伝わってくるのです。英語の編著、単著のロードマップが大体見えてきたところで、吉川でキリシタン史の本を先に出すか、前からズーーーっと待たせている『末次平蔵』を書くか、それとも、、、と迷っているところで、とりあえず飯嶋和一氏の『星夜航行』上下巻を衝動買い。前にも書きましたが、私はなぜか飯嶋氏と同じテーマのことを、その本が出ることを全く知らずにほぼ同じ時期にやって、飯嶋本を読んで勝手に「撃沈」するのでした。1冊に3年くらいかかるようなので、あまりメジャーではないですが、正直言って、私が知る限り最高の歴史作家です。多分、今の私に、かなり影響を与えてます。あまりに売れっ子になって、読みがいのない作品が出始めると残念なので、生活の方が大丈夫なのであれば、ぜひこのまま、素晴らしい作品だけを書き続けていただきたいです。

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# by mihokodesousa1 | 2018-10-28 21:32
現在、Cambridge History of Japanの講座論文を書いていて、日本のキリシタン史研究を国際的に紹介しつつ、かくれキリシタン研究についても触れるのですが。前から薄々感じていたのですが、宮崎賢太郎先生の主張について、結構批判があるのですね。大学を引退するまで、ある時期からパッタリ著作活動をお止めになったこととも関係しているように思いますが。最近、堰を切ったように本が出ています。批判というのは、「カクレキリシタンはカトリックではない」という主張に対するものが一番多いようです。これはもうすでに中立的な(中立じゃないところもあるよ!)アカデミックの分野では、完全に肯定されている説です。客観的に見て、私も同意します。先ごろの世界遺産運動の中で、この部分は薄められていますが(なんたって「現存」することが一番感動的な部分ですし〜、でもやっぱり広告上の脚色はあると思いまーす)。
それはさておき。
宮崎先生は、「カクレキリシタンはカトリックではない」と発言したとして、「カクレキリシタンは信仰ではない」とおっしゃっているわけではないと思います。つまり個人の精神的な部分にまでは立ち入った見解ではないと思うのです。そもそも「信仰」ってなに?という話になりますけど、私は個人的には、極論的にいえば、「葬式」に関することであると思っています。日本のように、お宮参りに始まり、除夜の鐘、チャペルでの結婚式、等の、特異な宗教環境を「無宗教」と表現することもありますが、私の知る限り、「神も仏もない」と本気で思っている人はいないように思いますし、死後はできるだけ、「天国」か「浄土」か、さもなくば虫でもいいから生まれ変わりたい、という方がほとんどで、そしてクリスチャンでないほとんどの方は仏式でお葬式をされます。以前、かくれキリシタンのリーダーの方と、個人的にお話しさせて頂いた際に、後継者がいないという話になって、その方は、「とりあえずこの高齢化したコミュニティの中で、自分が最後に死なないといけないんだ」と話しておられたのが、すごく印象的でした。もちろんそれは「かくれキリシタン式の葬儀を行う」ことが、ご自分の最も全うすべきお務めだと思っているから、そういう発言が出るのです。かくれキリシタンの方にとって、「かくれキリシタン式の葬儀」ができないことが、理想の末期ではないという点において、それは「信仰」と言ってよいと思います。

話は横にずれましたが、宮崎先生の主張は、上から目線ではなく、客観的な事実を述べているのに、それで傷つく方がいるのは事実です。ただ、彼らがカトリックではないことは、最初に「発見」したMEPの神父さんたちも気づいていますし、現代に至るまで、「カトリックではない」という差別は、陰に日向に存在してきました。「枯松神社祭」だって、近年始まったお祭りです。戦前は、カトリックに再改宗せず、かといって完全な仏教徒ではない「古キリシタン」に対する差別的扱いは、結構ひどかったと聞いています。歴史ブームは、一般の愛好家の方達の、浪漫憧憬に支えられている部分は大きいのですが、現役の研究者はやっぱりそこは意識して一線画しておかないと、と思います。

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# by mihokodesousa1 | 2018-07-04 11:59

南蛮貿易、大航海時代、マカオ、長崎など


by mihokodesousa1